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第7話 大事な選考の日、家賃が払えなくてバイトを選んだ

last update 最終更新日: 2026-02-04 16:14:26

 《アウローラ》二次審査の通知が届いた。

 一瞬、息が止まる。

 それから、胸の奥が熱くなった。

(……通った)

 嬉しい。

 それは、本当だった。

 ——でも。

 南青山の《ルクソリア》本社が浮かぶ。

 磨き込まれた床。

 流行の服。

 値段を気にしない空気。

(私、あそこに行っていい?)

 喜びは、すぐに不安に押し戻された。

 期待と警戒が、胸の奥で絡む。

 遥に、短く送る。

『通った』

 返事はすぐだった。

『おめでとう。

 自信が持てる装いで行きな』

 スマートフォンを伏せる。

 自信のある装い。

 古いスーツしか、ない。

 仕立て直せば、どうにかなる。

 ——問題は、そこじゃない。

(……家賃)

 今月分。

 バイト代がなければ、払えない。

 夜。

 倉庫の休憩室で、求人サイトを開く。

 二次選考の日。

 指が止まる。

 ……それでも。

 生活は、待ってくれない。

 迷ってから、

 シフトを入れた。

 人生を変えるドレス。

 それを作るのは、きっと、私みたいにバイトを休めない人間じゃない。

 そう思って、画面を閉じた。

***

 《ルクソリア》本社、最上階。

 久世 怜司は、資料から視線を上げなかった。

「二次選考の日ですが」

 秘書である佐々木 誠の声は簡潔だった。

「例の候補者、その時間帯にアルバイトのシフトを入れています」

 怜司の指が止まる。

 ——は?

 一瞬、苛立ちが走った。

 《アウローラ》だぞ。

 それを優先しない理由が、理解できなかった。

「理由は」

「生活費です。今月分の家賃が払えない可能性があるようです」

 そこで、思考が切り替わる。

 ……そうか。

 資料の備考欄。

 収入。

 勤務時間。

 深夜倉庫。

 数字として見ていた情報が、今になって現実として迫ってくる。

「来させろ」

 短く告げる。

 佐々木が頷く。

「……援助を?」

 怜司は、すぐには答えなかった。

 以前、同じことをした。

 庇い、囲い、守った。

 結果、才能は潰れた。

 ——あれは援助じゃない。

 支配だった。

「援助じゃない。

 デザインの買い取りを」

 佐々木は一瞬だけ視線を上げ、すぐに理解した。

「承知しました」

 佐々木は一礼してから、ふと視線を戻した。

「……一つだけ」

 怜司は、資料から目を離さない。

「あなたは、才能に惚れこみすぎるところがあります」

 責める調子ではなかった。

 長く隣にいたからこそ言える、静かな言葉だった。

「良くも悪くも、距離を忘れる」

 怜司の指が、わずかに止まる。

「今回は、線だけをご覧になったほうがいい」

 一拍。

「……ご婚約中でもありますし。来年には結婚式がございます」

 怜司は返事をしなかった。

 代わりに、資料を閉じる。

「分かっている」

 低い声だった。

「欲しいのは、才能だけだ」

 そう言い切ると、怜司は次の書類に手を伸ばす。

 ——距離を保つ。

 そう決めたはずだった。

 少なくとも、今は。

***

 通話は、すぐに終わった。

 ルクソリアの社長秘書という人間が、要件だけを告げた。

 デザインの買取。

 二次審査の日程は、再調整。

 事務的な言葉ばかりだったはずなのに、耳の奥で、まだ反響している。

(……どうして?)

(……でも)

 条件は、きれいだった。

 同情もない。

 慰めもない。

 ただ、「価値がある」と告げられただけ。

 胸の奥で、「まだ、行ける」という感覚が、確かに芽生えていた。

 ……うれしい。

 私は、素直にそう思った。

 ――数秒後。

 同じ番号から、もう一度、着信があった。

「……白川さん」

 不意に、名前を呼ばれた。先ほどの事務的な声ではない。

 もっと低く、重く、身体の奥に直接響くような。

「はい……っ」

「ちゃんと食べていますか」

「え……?」

「あなたの線には可能性がある――私はそれが見たい。

 だから、身体に気を付けて」

 それは――確かに欲だった。

 けれど、冷たさはない。

 見えない鎖のようなものが、生活の奥に、静かに触れてくる。

 傲慢で、甘い響きだった。

「……わかりました」

 小さく声で答えると、今度こそ通話は切れた。

 受話器を置いても、すぐには動けなかった。

 胸の奥で、うまく言葉にできない感覚が、静かに残っていた。

(……気のせい、だと思いたい)

 私の線を。

 この先の時間を。

 誰かが、遠くから、こちらを見ている気がする。

 まだ触れてもいないのに、

 もう輪郭だけが、先に形を持ち始めているような感覚。

 ——甘いのに、なぜか、背中がひやりとした。

 部屋の空気は、いつもと何も変わらないはずなのに。

 ひとりでいるのに。

 どこかに、見えない視線が残っている気がする。

 受話器の重さが、まだ手のひらに残っていた。

 それを振り払うように、私は小さく息を吐いた。

(……考えすぎ、だよね)

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